こんにちは、ジジです。
今回は、「神さま」について語りたいと思います。
英語で神、GODというと、キリスト教に限定されがちですが、ここではあらゆる宗教の神や、神という概念について、考えていきます。
神とはなにか?
あなたには、信じている神がいますか?
キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、あるいは新興宗教など・・それぞれ、異なる神を崇めています。
世の中、宗教の数だけ、神がいるということになりますね。
それは過去に実在した人物であったり、架空の想像であったり、新興宗教に至っては、実際に現時点で生きている人間であったりと様々ですが、どの神も、信者にとっては最大の心の拠りどころであり、生き方に指針を与え、人生を左右させうる大きな存在に違いありません。
いつでもどこでも、どんな自分でも受け入れて、救いの手を差し伸べてくれる・・人にとって、神とは、そんな大きな心の支えです。
私にとっての「神」
さて、私の信じる神とは、何か。
結論からいうと、ずばり「自然」や「宇宙」です。
昔でいう山岳信仰、アニミズムに近いですね。
まず私にとっての神とは、人の形をしていません。
キリストやブッダは、人の形をとって生まれてきて、神に近い存在やその一部分ではあるかもしれませんが、神そのものではないと思ってます。
死んでからは本物の神様になったかもしれないけど、この世に肉体をもって生まれてきて、生老病死苦にさいなまれている以上、神というよりはまだ人間に近いなと。
むしろ彼らでさえ、もっと上の存在の神によってつくられたと考えてます。
ただ、仏教の輪廻転生という概念は、共感というか賛成はしています。
肉体は死んでも魂は生き続け、その同じ魂が、今度は別の肉体に入って、また生を得る・・というのが輪廻転生の教えですが、生まれる前から記憶がある赤ちゃんの話や、行ったことがない場所なのに懐かしく感じるといった事象は、魂の転生なくしては説明がつきません。
ともかく、私の考える神とは、すべての神々をひとつにしたものであり、また同時にそのどれでもない、創造主であり、地球の自然の中に溶け込んでいる、というイメージです。
だから、例えば山や海に行ってゴミをポイ捨てとか、あり得ません。神聖な場所を穢すことになるし、たとえ周りに人ひとりいなくても、この所業を神様が見ていると思うと、恥知らずな行いはできないのです。
逆に、神様が見ていると思えば、だれが見ていなくても、ひそかに善行を行うことも、喜びになる。
あなたは、なぜ夕日があんなに美しいのか、草木や花が、なぜあんなに色鮮やかなのか、考えたことはありますか?
また、人間を含め、あらゆる動物たちの、完璧に無駄のない生体システム、細胞ひとつひとつが、偶然できたとは思えない精巧さと緻密さで構成され、見た目も非常に美しい。これが、神の御業でなくてなんなのか。
うちには猫がいますが、耳の先からしっぽの先まで、なぜこんなに美しい生き物が存在するのかと、見とれるときもあります。
整形なんかしなくとも、生まれたときから完璧に美しい彼らを見ても、やはり神の存在を感じずにはいられません。
猫じゃなくても、道端にいるハトやスズメ、昆虫だってそうです。
私はそこに、自然の中にある、創造主の愛を感じるのです。
べつに夕日がグレーでも、花がすべて真っ黒でも、猫が全く可愛くなくても、実質支障はないはずなのに、それをこれだけ美しくしてしまうのは、愛情がなければできない、と思うのです。
愛がなければ神とはいえない
その一方で、宗教という名のもとに、信者からカネをごっそり集めて贅沢三昧し、自分は生き神だと名乗る連中がいることに、憤りを感じます。
彼らがやることはいつも同じ、心が弱って不安で満たされている人に声をかけ、これを信じれば救われると言う。
人間は弱いから、騙されてしまう・・だけど思い出してほしいのです。
本当の神は、もっとすぐ近くに、常にいる。自然や宇宙の中にいるのです。
高いカネはらって、教会だのお寺だの精舎だのに行く必要など、まったくないのです。
だいたい、キリストやブッダが、人々の前で説法するとき、講演料や入場料を払えなんて言ったと思いますか?
偉大な聖人や宗教家というのは、みんな清貧で、大いなる神に導かれながら、ただただ人々のために、身を粉にして尽くしてきたはずです。
それは、愛がなくてはできない行為です。
だからこそ尊敬され、崇められてきたのでしょう。
それに対して今の宗教家は、愛は愛でも、自分にたいする自己愛のほうが強いようです。
まとめ
昔の人は、自然を畏れ、自然の中にこそ神を見出した。
我々も、それにならうべきではないでしょうか。
科学の目覚ましい発達といっても、髪の毛一本、ゼロから作り出すことなど、人間には到底できません。
それを成してしまえるのが神であり、この世にあるすべての生命は、神の意志によってつくられてきたのだ、と思います。
私にはたいした霊感などありませんが、なにか特別な力を感じる敏感さは、持ち合わせていると思っています。
だからこそ、人間の思惑が入りすぎて、誤解釈されたり、本来の教えとは違う方向へゆがめられてきた既存の宗教には違和感しかないし、まして信者をカネヅルにしている宗教には嫌悪感しかありません。
自分の心が弱ったとき、一度そういう宗教にはまりそうになった経験があるから、よけいに理解できます。
人間がつくる宗教には限界があり、たくさんの人々が長年にわたってかかわる以上、開祖の教えを純粋なまま維持することすら、不可能です。
ならば、もっと身近で大きな存在に気付き、ひそかに祈ることのほうが、よほど建設的だし、他人に毒されない、自分の考えを強く持てるのではないでしょうか。
常に自然の中にいる神様に感謝し、今の自分が恵まれていることに気付くことが、大切だと思います。




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